安曇川地域魅力ある地域づくり事業 ~郷土料理の伝承 ~

魚供養と五穀豊穣を願って

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魚供養

私たちの命の源となる琵琶湖の魚に感謝をし、そして供養をする。
平成20年10月18日、安曇川町南船木「西光寺」に於いて放生会(魚の供養)が執り行われました。
かっては、毎年、9月15日と決まっていたのですが、近年は社会の状況とともに日が変更するようです。水の入った桶の中に生きた湖魚が数匹、祭壇の前に供えられます。そして、人々に見守られながら僧侶による読経が厳かに誦せられる。

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お供え用の湖魚

 

一時間ほどの読経のあと、魚を持って、近くの川に放流する為、僧侶とともに移動する。

私たちが、魚の命をいただき、生かされていることへの感謝をする行事である。

 

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魚供養の読経                 放流する川へ移動

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 読経のあと、放した魚を見守る人々

    

 各地域でも行われているようですが、北船木地区においても、1月31日~2月1日にかけて、勝専寺で梁供養(やなくよう)と魞供養(えりくよう)がつとめられました。

 

「魞供養(えりくよう)  つとまる御堂(みどう)  雪熄(ゆきや)まず」

                           駒井でる太(地元俳人)

(雪のある頃に、その風景の中で詠まれた短歌です)

 

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冬の琵琶湖

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一方、湖に対して陸である田畑においても、田んぼの神様に感謝と豊作を願い、古くからまつりごととして執り行われています。
こちらは、農業に携わる集落あげての人々の行事です。毎年、11月30日の夕方に執り行われています。
一年に一度しか収穫できない主食である米穀類の収穫の終わったこの日に、田の神様が山へ帰られるという風習があり、田の神に豊作を感謝し、子孫繁栄を願い一族が昔から子々孫々にわたり受け継いできた行事です。
年々農業離れが進む中、多少形が変わって来ていながらも行事として現在も守られている。

       送るときの飾り方          迎えるときの飾り方 

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=最近の飾り方=(田神さん行事の飾り付け 田中地区)

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  • 田の神は、女の神様と男の神様の二人がおられ。
  • 地域、家々により飾り方は様々である。
  • 場所は、かまどの上又は、台所に納戸に向かって飾る。近年は家々により異なる。


(納戸に向かい箕に飾られた品々)

 

~田の神さまを送るとき~

  • 大根  2本一組 2つ(まっすぐな大根又は先で数本に分かれた大根と地域により異なる)
  • 箸     2膳(毎年、栗の木の新枝を使う。又は柳の木)
  • あずき飯  1升マスに、あずき飯を盛る。
  • (升の中に左右に山を作って盛るなど、盛り方は家々により異なり、又あずき飯の代わりに赤飯やおはぎの家もある)
  • 御神酒(おみき)   2本
  • 灯心(とうしみ・お光り) 2本(最近はろうそくで代用)
  • 生きた魚  4尾
  • (本来は集落の近くでつかんだ本モロコだったが、最近はカワムツで代用。翌朝魚は生きたまま、川へ放流して行事のすべてが終わる。)
  • 箕(み)(又は、木のまな板) 1枚  すべてのものを写真のように飾る。(最近は、プラスチック製の箕になっている)

 

~田の神様を迎えるとき~

二十日(はつか)正月(二十日団子(はつかだんご)・俵団子(たわらだんご))

11月30日に山へ帰られた田の神様が、年が明けて1月20日に各家々に戻って来られるという言い伝えから田06-12.jpgの神様を迎える行事。
11月30日の飾り方と同様にあずき飯の中に、俵団子(俵の形に似せたもの)を沢山入れる。(沢山の米がとれるようにと)
この日のあずき飯は、かまどに松の葉を燃やして炊く。煙突から煙が登ればこの煙を目指して田の神様が戻って来られるといい、家々では、いち早く神様が早く我が家へ戻って来られることを願い、競ってかまどの火を早くからくべたという。

(俵に見立てた団子をのせて)